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働くオカンの思考を解剖したらこうなりました

働くオカン(三姉妹の母)の思考 From 2013.10.21 to 2015.04.07

ハッピーマタニティーライフとは無縁の初めての妊娠・出産の話。よく3人産んだよ、私。

妊娠

先日から読もう、読もうと思いつつも、なかなか読む時間を作れず数日経過。

やっと先ほど読了したら、無性にブログが書きたくなって・・・上の空。

いっそ書いてしまった方が、家事に身が入るというものだ!!!!

 

よし!書くぞ!!!

 

読んだのはこちら(2014年の私たち - Chikirinの日記)と

こちら(妊娠・出産・育児という地獄 - 仕事は母ちゃん)です。

 

 

独身の頃の私の価値観からすると、

普通の門も茨の道ですが、ピンクの門も茨の道に思えて仕方なかったんです。うん。

 

それでも結果的には、現在は、偶然も重なりどっちの門もくぐり、

今はどっちつかずの中途半端な世界に身を置いている。

この結果に至ったのはなぜか?

私なりに考えまとめててみることにしたのだ。

 

 

まず、私の初めての出産の話をしよう。

それには、当時の私の仕事の様子から話さないといけない。

 

 

うちの会社は、男性と独身女性には、普通の門が用意されている。

既婚女性には、門自体が用意されていない会社だった。

 

例えば、秘書と聞くと女性だと思っていた私は、

男性(しかも・・・)だったときの衝撃はたとえようがない。

だってドラマでは・・ドラマでは・・・と、夢を壊され嘆く私に、先輩女性は言う。

「これが現実よ。

 うちの会社には女性の管理職は1人しかいないのよ。この規模でよ。

 結婚したり妊娠すると皆やめちゃうの。私もいづれね・・・」

 

 

この後の私の行動はとってもわかりやすい。

 

 

もともと依存傾向があったのも手伝って、ガンガンと仕事を覚え吸収し、

ワーカーホリック全快へと突き進む。社蓄の出来上がりだ。

 

成績は、同部署の男性と比べてもなかなか良いほうだった。

休み返上で仕事もしたし、デート中でも仕事携帯が鳴った。

それでも楽しかったし、

新しい世界と困難への挑戦がたまらなく面白かった。

まだまだお子ちゃまだった私の好奇心を刺激するには、十分な魅力があった。

 

 

当時の私は、結婚願望がなかった。

出産願望もなかった。

だって、当時の私が知るところの両親のスペックは残念だったからだ。

(今では離婚して、別々の道で幸せそうに暮らしている)

 

 

それでも、心の奥底に僅かに残る乙女心があったのは、

親友・腐れ縁の悪友たちの両親が、

そろいもそろってオシドリ夫婦ばかりだったからだろう。

 

あぁ、こういう関係が築ける人を見つければ、結婚も出産も怖くなさそうだな。

単純に、そう思ってはいたが、

いまいち自分がというイメージは沸いてこなかった。

霧がかっていて、ぼやけていて、まったくイメージができなかった。

 

 

数年が経過し、

今の旦那と出会ってからの私の人生は、一気にピンクの門へと流れが変わったように思う。

もちろん、今思えばだ。当時の私は知る由もない。

 

ピンクの門へ流れが変わったのは、もちろん結婚を意識したからだ。

前述した「こういう関係が築ける人」に出会ったと思ったし、

私とこういう関係が築ける人は、かなりレアだとも直感的に感じ取っていた。

ただの野生の感。根拠はない。私は勘が冴えているのだ(笑)この勘は当たりだったと、今では思う。

 

そして結婚した。

結婚はしたけど、まだまだ未熟者だった私は、

母となる自分をイメージできないままだった。

 

イメージできるまでは、DINKSよろしく新婚を謳歌すれば良いと甘く考えていた。

この旦那と結婚したのだし、いずれイメージも沸くだろうと・・・

 

 

新婚まもなくのある晩。

私は、旦那にゲームを仕掛けた。単なるゲームだ。

単なる自分から仕掛けたゲームでしかなかったのに、ここで大負けをしたのだ。

(今思えば、恐らく十中八九この時だと思うし、他に危険な行為が思い当たらない)

 

 

まだ母となる心の準備もない頃だった。

軽い気持ちで仕掛けたゲームで負けただけだった。

それで母になるなんてありえないし、まさに想定外だった。

 

 

想定外だったからこそでもあるんだけど、妊娠発覚はなかり遅れたと思う。

なんせ、軽い気持ちのゲームだったし、そんな事すっかり忘れていた。

それに当時の私は生理不順だったし、不妊治療を受けなければ母になれないという、

勝手な思い込みも手伝って、まったくのノーマークだった。

(ほんと、当時の私は無知で失礼なやつだね、ホント。)

 

 

この時期の私は、仕事であるプロジェクトのリーダーをしていた。

勝つか負けるかの大勝負だと思っていた仕事でもあった。

 

それなのに、眠いのだ。

ただただ、眠くて仕方ないのだ。

まったく集中が出来ないのだ。

普段なら絶対にすることのない、ケアレスミスもした。

 

 

初めて、自分がコントロールできなくなった。

わけがわからない。

鬱かなにかの病気にでもなったのだろうか?と不安になった。

そして、年上の女の同僚に相談をした・・・ら、意外な言葉が返ってきた。

 

「ここ1ヶ月間くらい 生で中出ししてへん?」

 

唐突過ぎる質問に、即座に返答ができなかった。

(その質問の)意味がわからない。

それに、そもそもそんな事するはずはない。(と、思い込んでいたし、忘れていた)

だって、子供作る気などさらさらなかったのだ。当時の私は。

 

「ふ~~ん、とりあえず妊娠検査薬、買って来るからトイレ行きな~」

 

と。

半ば強制的に検査をすることになった。

 

陽性だった。

 

信じられない事実だが、陽性だったのだ。(←まだまだ忘れてる、思い出してない)

そして絶対に何かの間違いだ!!!

それならば、専門家の判断を仰ぐしかない!!!

と、その日の夕方には、産婦人科に滑り込み受診した。

 

結果。 

「おめでとうございます」

 

顔が引きつる。愛想笑のちびまる子ちゃんのような顔になってたと思う。

だって。

だって。

夢見た仕事の。夢見たプロジェクトの。夢見たリーダーをやってる最中なのだ。

自分で一から線表引っ張った初めてのプロジェクトだ。

 

 

今でも。

何年もたった今でも。

昨日の様に覚えている。

この時の私を。

いまにも泣きそうなグチャグチャの顔をしているだろう私を。

 

 

その後数日で。

規定の産休を待たずして、私は自分で引退を決意した。

納得の出来るプロの仕事が一切出来ないのだ。

眠いし、食べれないし、気持ち悪いし、感情が安定しない。

何よりも、思考が支離滅裂なのだ。

一貫性がない自分が、自分でも、とても歯がゆかった。

 

 

そして、いともアッサリと。アッケなく。

普通の門から去る事となり、

仕方なくピンクの門をくぐる事となった。

 

 

この時、まだまだ能天気で無知だった私は、

ピンク門をくぐったらハッピーマタニティライフが始まると思っていた。

だって、ドラマで見る妊婦さんは皆幸せそうだ。

尊い命を抱えている妊婦さんは、幸せに違いないと思っていた。

自然と自分にも母性があり、幸せ気分になると思っていた。

 

 

 

甘かった。

そもそも、私は準備をしてこなさすぎた。

その上、30週頃まで悪阻が続いたし、一時入院もした。

 

不安しかなかった。

情緒不安定で感情の起伏が激しい自分。

醜く変化する体型。

全身にひろがる湿疹。(←妊娠性湿疹になりかなり痒かった)

ひびわれた妊娠線。

硬く張って黒ずむ乳房。

お腹が張って、痛くて痛くて動けなくなった身体。

 

 

そして何より一番私を苦しめたのは。

やりたい事がない自分。やる気もない自分。

やる事が家事しかない自分。家事すらろくに出来ない自分。

向上心がなく、無気力の自分。

 

 

旦那は、働いている。

あたりまえだが、働いてる。

働いていることが、ズルクテ、ネタマシクテ、シットにかられていた。

 

 

今思えば、マタニティーブルーか何かだと思う。(たぶん)

普通の門からピンクの門への急な変化に心も身体も付いていけなかったのだろう。

 

 

 

なので、お腹にいる子が愛おしいとは思えなかった。

このつらさから早く開放されたいと願っていた。

自分のことしか考えていなかった。

 

バチがあたった。

お腹の子の胎動が消えた。

緊急帝王切開する事となった。

 

産まれてすぐに救急車で乳幼児医療センターに運ばれた我が子。

私は我が子と別々の病院で過ごす。術後そのまま入院だ。

我が子に会えない入院生活。

私は大きな傷と激しい痛みと手元に何もない孤独と戦った。

他のお母さんは大変そうだけれど、幸せそうに我が子を抱いていた。

 

旦那は、毎日子供のいる医療センターに通った。

(会社が特別休か何かをくれたらしい。)

子供の写真を大量に撮ってきては、私に嬉しそうに見せてくれた。

主治医から報告される子供の経過や。

NICU内で見せるしぐさを、たくさん、たくさん話してくれた。

 

 

自然と涙がこぼれた。

早く退院して、わが子を抱きしめたい。

謝りたい。ごめんね。ごめんね。

そして、大好きだと伝えたい・・・

 

 

私は、自分が退院してから毎日。

身体も回復しておらず、傷が痛む中ではあったが、毎日。

電車とバスを乗り継ぎ、毎日。

子供に会いに通った。

子供の退院の日が待ち遠しかった。

早く時間を気にせず一緒に過ごしたかった。

 

 

結局、1ヶ月もせずに驚異の回復力で、我が子は退院する日が決まった。

(医療センターのNICU,GCUのベッド数はまったく足りていないので、

 よほどでない限り、比較的早く退院できる。

 より重症な新生児をより多く受け入れる為。)

 

定期的な経過観察は付いたものの無事に退院をした我が子は、

私からみて、元気そのものだった。

 

 

もう二度と妊娠も出産もしないと心に誓った日でもあった。

この子だけを大切に大切に育てよう。

 

 

何が出来なくても良い。

この子の笑顔を守っていこう。

大切に、大切に。

 

 

 

そして始まった育児は、大変さの中ではあったが、

私にとったら、最高の仕事だと思えたし、天職だとも思えた程、楽しかった。

このままピンクの門で、のんびりと過ごしたいとすら思った。

 

私のジジババは遠方だし、働いているし、まったく相性が合わないし、

助けてもらいたいとすら思ってなかったので、会いたければ会いにきてください。

というスタンスで、親子3人で助け合って幸せに暮らしていた。

 

頼れるはずのジジババが遠方だと、仕事を再開したいとも思わなかった。

また、例え仕事を再開しても、フルでは続けられないと思っていた。

 

 

ではなぜ、私は今働いているのか? 

それは、4つの事が重なったからだと思う。

  • 私の上司が企業した
  • 専業主婦のママ友がたくさんできた
  • 旦那の給料だけでは貯金までは難しかった 
  • この子は本当にいい子で手がかからなかった

 

 

長くなったので、ここで一旦UP。

続きは、またね~

おやすみなさい。