早いもので大晦日ですね。昔の話でもしよう。
子供を寝かせるつもりで、一緒に寝てしまい。
気付いたら、子供が私の腕使って、腕枕なんかしてたもんだから、腕がシビれて起きました。
ぉぉぉぉ、、夜中だよ。
目が冴えちゃったよ。
ブログでも読むか。
まだ、時間あるしブログでも書くか。
その程度のブログです。
いつものこと。
いま、私は母の所に居る。
実母のとこ。
でも、ここは実家とは呼べない所に居る。
私の実家には、父が住んでる。
父とはもう何年も会っていない。
今年、長年の裁判を得て、最高裁までいきようやく熟年離婚が成立した。
母よ、おめでとう。
父よ、残念だったね。
なので、この家は母の新居である。
よくあるマンションの一室で、思い出も何もない。
幼少期からずっと夢見た両親の離婚が、やっとかたがついた。
ブログ読み始めて知った言葉に毒親というものがある。
きっと、私の両親は毒親に分類されるような気がする。
特に父は酷かった。お陰様で、私は大学に行き損ねた。
今年、何年ぶりかにこの地に来たわけだけど。
別に母の事が気がかりて、ここに来たわけではない。
酷かったのは、もちろん父本人ではあったが、子供ながらに、母にはその父と戦い子供への悪行を是正して欲しかったし、戦い是正出来ないのならば父と子供を引き離すくらいはしてもらいたかった。
だから母への思いというのも、これまた微妙なところだ。私がいまいち母を手放しで信用できないのは、この辺にあると思っている。
さて、では何故やって来たかというと。
この節目に、親戚とか祖父母への挨拶をして回るのが、私の役割かと思ったからだ。
ついでに、ご無沙汰になってる旧友にもあえるし、宿として便利だから来た。
いわゆる母は高学歴でキャリアウーマンという奴だと思う。母方の祖父母家は裕福だし、裕福な家庭にありがちな穏やかさと素直さもあり、母はお嬢様だったようだ。世間知らずなのも、頷ける。だから父に騙されたのだろう。うん。
そんな母なので、収入だけはある。
かなりいいとこに住んでるので、布団も寝るスペースも十分ある所に新居を構えている。
悠々自適な独身生活を、今更ながらに謳歌している。
なので、母は少々迷惑気味にしている。
それでも、空気読まずに来たのは、前述の通りである。
母も私も、子供(孫)の前では大人な対応なので、子供も楽しそうにしている。
安心した。
今年の私は、何やらホッとしたのか、頭がぼーーっとしている。
頭が回転せず、考える力が低下している。
なにがあっても、ふーん。という受け止め方しかできていない。
そこに、何を思い、何を主張するでもない。
何かを考えようとすると、ピタッとロックがかかるイメージだ。
これは、仕事でも発生していて度々マズイなと感じている。
いよいよ本格的に、それじゃマズイなと思い立ち、取り敢えずブログというアウトプットでもして、多少は考えをまとめる努力はするものの。
昔考えた事は、スラスラかけても、新たな思考となると支離滅裂になる。
読み返しても、何が言いたいのかサッパリわからない。
私がわからないのだから、読んでる人がいるかはわからないけど、いたとしたら、もっとわからないはず。は???となってるはす。
私自身、義理の実家の脱出劇以降、疲れきってる感は否めない。全エネルギーを使い果たした感が、半端ない。
その後の職場復帰も手伝ってか、日々に追われるだけ追われ、思考停止が続いている。
そこにきて、両親の離婚の決着。
何もかもが、片付き。
今の私に問題のタネはない。
私生活だけではなく、仕事も長年のお局よろしく、慣れに慣れ、特に問題も抱えていない。営業成績も申し分ない。
今の私には、エネルギーが足りてない。
蓄電の必要がある。
来年いっぱいは、エネルギー補充期間とわりきって、今の平穏な暮らしを続けようと思う。
エネルギーが補充されて、また思考が活発になれたら、転職をしたい。
ぬるま湯からの脱出をしなければ、本当にこのまま。思考停止のまま年を取る事になるだろう。
新しい挑戦へ。
ぬるま湯からの脱出へ。
つくづく、私は親というものに縁がないとわかったので。実家といい、義理家といい。
私から下の世代へは、この負の連鎖を断ち切りたい。
幸せに包まれながら、愛する我が子と夫と共に、新たなステージを目指したい。
大晦日の早朝に、思いを馳せながら。
新年を待ちわびる。
それでは、みなさま。
良いお年をお迎えくださいませ。
幸多きことを祈って。
H25.12.31